会計がおわってもまだ店員はハイネと話したそうだったので、わたしは先に店を出た。いつのまにか空は夕暮れに染まっていた。今にも溶け出してしまいそうだ、と、がらにもなくそんなことを思った。

 呼ばれたのでふり返る。
「どのホテルに泊ってんの?送ってく」
「ホテル?」
「今晩の便で帰るのか?」
「さぁ・・・どうだったっけ」
「おい」
 ハイネは慌てた声をしていた。わたしが一人で歩き始めたからだ。でもすぐに追いつかれてしまう。なにもかもこの歩きづらいヒールのせいだ。道路のすみに脱ぎ捨て、裸足になる。アスファルトはひんやりとつめたいが、さっきよりも随分ましだった。なぜ最初からこうしようと思わなかったのか不思議でならなかった。
「おい、何してんだよ!足!怪我するぞ!」
 ハイネが手首を掴む。
「頼むから送らせろよ。何もしないから・・・じゃなくて!ああもう!あんまり心配させんな!なんて顔してやがるんだ!」
 ハイネに掴まれた手は引っ張ってもびくともしない。ひねりあげようと伸ばした左手も巧みに無力化されてしまう。体中の血が煮えくりかえるのを感じていた。おさえようと目をぎゅっと瞑ると、目の奥がじんと痛んだ。嫌だ、こんなの。
「なにがあったんだよ!少しくらい話してくれたっていいだろ!」
 前を睨みつける。ハイネがまっすぐこちらを覗き込んでいた。緑の瞳。きれいな瞳だ。彼は善良な人間だ。ただの気さくないい奴だ。誰もがそう認める。どうしようもなく悲しかった。
「なにもないよ。なにもないから、いやなのよ。こんな服なんて着たくなかったし、ホテルになんて戻りたくないし、誰にも会いたくない!」
「わけわかんねぇよ!」
「わかってほしくなんてないもの!」
 次の瞬間にはハイネはその場にうずくまっていた。突き出した右膝がみぞおちに命中したのだった。わたしはそのまま駆けだした。ばかやろう、と声がきこえたような気がして速度をはやめた。