屋上といって容易に連想される言葉はきっとそう多くない。煙草、さぼり、告白。どれをとったってろくなものじゃない、というのはアントーニョの意見で、彼はそのひとつひとつを論理的に語ったことがあった。
 そのいち、教師の目につくところでわざわざ煙草を吸って退学のリスクを負うのは馬鹿げている。
 そのに、さぼるならもっと楽しいところが他にいくらでもある。
 そのさん、こんな色気のないところで告白なんてデリカシーのないやつのすることだ。
「わっかりやすい反抗心や」
「告白の方は?」
「それはただの童貞」
 入学以来一番仲の良かった友達に彼氏ができたのは2週間前のことだった。のぼる話題すべてがのろけ話になったことは大目に見るとして、目下の問題は昼食を食べる仲間と場所だった。腕を組んでうなりつつ購買へ行き、いつも通りのパンと牛乳を買ったところで、人ごみの向こうに知った顔を見つけたのだった。
 悪名高いとはいえ、仮にも先輩だ。
『怖いもの知らず』『ずうずうしい奴』『礼儀を知らない』『魂胆が見え見えなのよ』
 裏で自分が何と言われているかは予想がついていた。なんとでもいえばいい、と思えるほどまだ私は達観できていないから、クラスメートの視線は少なからず悩みの種となっている。




 私とアントーニョが会話をしている横で、ギルベルトは単語帳を捲っていた。毎週水曜日は午後一番の授業で英単語テストがあるのだそうだ。昨晩も勉強しただろうに、妙なところで心配性なのだった。その横でフランシスは壁に背中をもたせて目を閉じていた。さえぎるものなど何もない青空の下、わずかな日陰に身を寄せて意味もなく陽気に笑いあえる幸福について、最近私はよく考える。
 それでも、目を閉じた瞬間にフラッシュバックする光景がある。暗がりの中近づいてくる彼の形のいい唇だった。たがいがたがいにシャツのボタンに手をかけ、素肌に手を滑らせあいながら、私だけが一生懸命背伸びをしていた。私は不器用で、あせっていた。彼は笑いながら唇以外のあちこちにキスをふらせていった。額、まぶた、鼻、頬、耳、あご、首筋、みぞおち、おへそ。彼が膝を抱えた瞬間、私は蒼ざめたと思う。混乱と恐怖の中、フランシスは私より何枚もうわてだった。




「そういえばおまえ、最近エリザベータちゃんとどうなのよ」
 なんの前触れもなく目を開いたかと思うと、フランシスは唐突にそんなことをきいた。ギルベルトはあからさまに嫌そうな顔を作った。
「何がだよ」
「おまえが一番わかってるでしょ」
「だから、何なんだよ」
 私はこっそりとアントーニョを見た。彼は面白そうににやにやと笑っていた。それでなんとなく予想がついて、私もなにもわかっていないくせににやにやとギルベルトに視線を送った。いくらかの応酬の後、彼は怒り心頭といった様子で弁当箱を掴んで立ち上がると、扉の向こうへと消えていってしまった。階段を駆け下りていく音は次第にフェードアウトし、最後には消えた。
「ギルもかわいそうにね」
「結局ローデリヒの方はどうなったん?」
「なーんにも。依然、どこもかしこも進展なし、だね」
「それ全部知っててあえてギルにあんなこときくんや・・・」
「人聞きの悪い。慰めてあげようと思ったんでしょ」
 性格悪いわぁ。アントーニョはぼやいて立ち上がった。彼は一度大きく伸びをすると、足もとのゴミ袋を拾った。
「ありゃ、慰めに行くつもり?」
「まさか!ちょっとロヴィのとこ行ってくるわ」
 ロヴィーノはサッカー部の後輩で、私のひとつ上の学年に当たる。クラスメートのフェリシアーノの兄だと知ったのは別にアントーニョからきいたからではなく、外見がそっくりですぐにわかっただけの話だった。
 アントーニョの足音がすっかり消えると、不自然な沈黙が自然と降ってきた。私はフランシスに視線をやり、それからすぐ戻すというのを何度か繰り返した。彼の横顔はわたしではないどこかを向いていた。よくよく考えれば、今日二人の間で交わされた言葉は一言もありはしないのだった。
「今日・・・」
 やがて口を切ったのはフランシスの方だった。
「放課後、ひま?」
「ええ、まあ・・・」
 18時に、駅で。
 彼はそれだけ言うと、他の二人がしたように立ち上がって扉の向こうへ消えてしまった。

 後に残ったのは五月のさわやかさだった。空は低く、底抜けに青い。じきに梅雨が来て、期末試験が来るだろう。そしてグラウンドの土が乾いて熱を帯びるようになると、高校に入って初めての夏休みになる。