その春、私は高校にあがったばかりだった。えんじのブレザーからはまだ糊が消えていなかったし、ポケットから定期入れをとりだすとたちまちよそのにおいがした。下に重ねたセーターも、ネクタイも、プリーツも、すべてがつるんとなめらかだった。かざした手の隙間からふる太陽の光すらぼんやりと曖昧で、とにかくなにもかもが体に馴染んでいなかった。
 家から一番近くにある学校、という安直な理由で選んだ高校は、私を中学時代の友達から遠ざけた。彼女たちは全員持ち上がりで付属の高校に上がった。授業中うたたねしていても大学まで進学させてくれるその学校に、とりわけ不満があったわけではない。偏差値の点でも申し分なかった。ただ、私鉄を二本乗り継ぎ、さらにバスに揺られなければならないこと、その点だけがどうしても我慢ならなかったのだ。
 ひとりが心配そうな視線を注いでいたのを時々思い出す。確かにそうなのだと思った。ばかみたいに大きな布が覆いかぶさってきて、身動きが億劫になるのを想像した。動くのを嫌悪する体に、憂鬱なそれは容赦なく纏わりつく。




 登校初日に、私は初めてフランシスに会った。彼はうちの最寄り駅のプラットフォームに立って、眠そうに斜め上を見上げていた。同じ高校の制服を着ていたので、私は近寄って挨拶をした。
 新入生?はい。ふうん、そうなの。うちはいい学校だよ。適当に勉強して、めいっぱい遊ぶことだね。
 彼はにこやかに言って、ちょうど滑りこんできた列車に足を乗せた。私も彼に続いた。道すがら、言葉を交わすうち、彼がフランシスという名前であること、三年生で、クラブには属していないということを知った。
 2歳しか年が違わないくせに妙に落ち着きのある、悪く言えば偉そうな話しぶりは、どうにも私を落ち着かない気持ちにさせたが、校門で彼と別れ、いくつかの儀式を通過したあと、体育館で列の中に埋もれてぼんやりしているとふいに腑に落ちた。生徒会長の挨拶の間、舞台の脇で涼しい顔をしている男に既視感を覚えたのだ。




 ありていにいって、彼は優等生だった。成績は申し分ないし、副会長としての業務はそつなくこなす。傍若無人な変人と名高い会長のブレーキ役も、万遍ない笑顔を振りまきながらやってのける。
 副会長の名に恥じない優等生だ。
 重役出勤は当たり前、会長を制止する傍ら自分のアクセルは躊躇いなくベタ踏み。煙草を吸い、酒も飲めば、悪友とつるんで女子大生の合コンにも繰り出す、優等生。




 彼とふたたび会話することになったのは登下校中ではなく、GW明け一日目の昼休み、昼食を買いに行った購買部でのことだった。事実、彼とまともに顔を合わせるのは入学式以来初めてのことだったので私は面食らった。彼もまた驚きを隠せない様子でパンの袋をつまんでいた。件の悪名高い友人のうちひとりが彼の隣で不思議そうに私たちを見比べていた。
「家、近所なのに全然会わないね」
「そうですね」
「もしかして結構早い便で来てる?」
「いえ、いつもぎりぎりです」
「あら、じゃあはち合せてもおかしくないのにね」
「なに、あんたら、ご近所さんなん?」
 とりとめもなく話しながら会計を済ませ、購買から出てすぐのところにある自動販売機へ向かうと、自然と二人も後ろからついてきた。私は硬貨を入れ、目当てのボタンを押した。するとフランシスが妙な声を上げた。
「見たトーニョ?牛乳だって。かわいいねぇ」
「別に普通やん」
「いやいや、若さを感じるよ。いいねぇ、お兄さん、食べちゃいたい」
「うっわ、きしょ」
 最後の方になると私が言葉をさしはさむ空間など完全になく、そのまま二人連れ立って廊下の向こうへと消えていった。私はそれをぼんやりと眺めていた。




 それから何日経ったかは覚えていない。私はブレザーの下にセーターを重ね着するのをやめ、奇妙な無防備さを感じて廊下を歩いていた。中庭で昼食を済ませたあと、職員室に寄るというクラスメートと別れて教室へと戻る途中だった。階段の下のゴミ箱にビニール袋を放り込み、顔をあげたところでフランシスがいることに気づいたのだ。
 彼は私からかなり離れたところに立っていた。1階は3年生の教室なので、おそらく彼のクラスの前だったのだと思う。すでに予鈴は鳴っていて、廊下は教室へと戻る生徒でごった返していた。濃紺とえんじの制服が入り乱れていた。それでも私が彼を見逃さなかったことの一因として、彼もまたじっとこちらを見つめていた。
 しばらくして、彼は踵を返した。何も言わなかった。強制力などどこにも見当たりはしなかった。なのに私の足は自然と彼のあとに続いた。向かった先は視聴覚室だった。先に着いていたフランシスは、扉を押さえた状態で私を待っていた。紳士的ですね。冗談は口の中で消える。

 錠のおろされる音とともに光が消えた。