無愛想だけど決して無礼ではなく、ただ笑顔を浮かべるのを億劫がっているような印象を受ける。そのせいで全体的に地味な雰囲気が漂ってはいるが、よく見れば整った顔立ちをしていて、刀鍛冶とか漆芸家とか、そんな感じでなにかしら熟練した技術をもっていそうな雰囲気だった。
(完全に偏見だわ)
 「いぶし銀」という言葉がしっくり来る、そんな男の人と、カウンター越しに向かい合っている。いつもの吉野さんの店だ。ランチ最後の客は若いサラリーマンで、生ハムと卵のサンドイッチを一杯のコーヒーで流し込むなりあたふたと飛び出していった。それが一時間前の出来事だ。以来ぱったりと客足が途絶え、やることもなく欠伸まじりに水周りの掃除をしていると、突然カランコロンと来客を告げる音が鳴った。
 窓際にはひとり用のちいさなテーブルがある。にも関わらず、彼はまっすぐカウンター席にやってきて、きこえるぎりぎりの小さな声で、エスプレッソ、とぼそりと呟いた。軽食を注文してくれたら厨房にいる吉野さんのところに避難できたのに、と仕方なく棚の扉を開く。
 ずらりと整列しているデミタスカップはまるで遺跡のモニュメントのようで、そのひとつを手に取る度、彼らの眠りを妨げているような気持ちにさせられる。それはわたしの素直な気持ちで、だからこそ誰かに伝えたことがあった。でも完全な嘲笑でもって迎えられた。同意しているように見せながら明らかに鼻で笑ってみせた、あれは誰だったろうか。






 一杯のエスプレッソはあっという間にほされ、もう一杯いかがですか、という言葉もあっさりと首を振って断られた。それで帰るかと思えば、鞄から出した文庫本を開いたまま一向に動く気配もない。新たなお客さんが来る気配ももちろんない。やれやれ、とカウンター内の小さな椅子に腰を下ろし、わたしも棚の下に忍ばせておいた本を開いた。あまりにも人がいないときにはこうして休憩をとってもいいことになっている。しぼったボリュームで流れるクラシックに混じって、時折ページを捲くる乾いた音がふたつ分空気をふるわせる。気まずいと言えば気まずいが、本の作り出す世界に現実を忘れるのはあっという間だった。最近はヘッセに傾倒している。






 どくれくらい時間が経ったのか。ふたたび鳴ったドアベルの音で、わたしは現実に引き戻された。
「あれ、中在家先輩じゃないすか」
 詰襟姿のきりちゃんが、きょとんとした表情でカウンターの向こうに立っていた。わたしは本を閉じて立ち上がった。
「知り合い?」
「うん。うちの委員会のOBでさ、今でもいろいろお世話になってんだ。ね、中在家先輩。ていうか、どうしたんすか、こんなところで」
「近くを通ったから、お前がいるかと思ってついでに寄ってみた」
「まじすか!おれがここでバイトしてるって、覚えてくれてたんですね」
「一度来てみたいと思っていた」
 ということは、彼の目的はきりちゃんだったということだ。今までの行動がすべてすとんと腑に落ちて、わたしは力なく笑った。
「でも中在家先輩、運いいっすね。俺、最近ここ週2でしか入ってないんすよ」
 きりちゃんはもっとわりのいいバイトをみつけたらしく、先月からそっちをメインで働いているのだ。確かに、彼がきりちゃんと出会えたのはかなり運のいいことだった。というか、そういうことならきいてくれれば教えたのに。
「てゆうかちゃん!ちゃんも中在家先輩のこと知ってるはずだぜ」
「…わたし?」
 いきなり話をふられて若干面食らったまま、中在家さんとやらの顔ときりちゃんの顔を交互に見てしまう。数秒のブランクをはさんだところで頭の上で電球が点灯、することもなく。曖昧に笑うわたしをみとめて、きりちゃんは盛大にためいきをついた。薄情な奴だなぁ、とさも言わんばかりに。
「大学の図書館で、会ったことない?」
「…図書館?」
 自分でもわかるくらいに申し訳なさそうな声が出た。
「中在家先輩、ちゃんと同じ大学に通ってんだぜ。んでもって図書館の司書バイトやってんの」
 しばらく彼の顔をみて、ようやく思い当たる節に行き着いた。そういえば、びっくりするくらいに愛想のない司書が図書館にいたような気がする。愛想は悪いが仕事はてきぱきとこなすし、わからないことがあればなんでも明確に答えてくれるので、逆に機械みたいで印象が薄かったのだった。
「あー、うん、思い出した思い出した。なんだ、なんかおもしろいところで繋がったね」
「前から思ってたけど、ちゃんてあんまり他人に興味ないだろ」
「…そんなことない」
 ちょっとむっとしながら、にやにやと笑うきりちゃんをにらみつける。きりちゃんはわたしに遠慮がない。そもそも呼び方もちゃん付けだし、年上だということはあまり考慮されないらしい。
 救いをもとめるように中在家さんを見たが、彼は彼で紹介があったにもかかわらず一向に会話を持ちかける気配もない。
(てゆうか、大学生だったんですね)
 言葉はすんでのところで飲み込んだ。








 ドアベルの音は来客を告げるだけでなく、人が去っていく合図でもある。カランコロンという音とともに彼女は店から出て行き、足早に駅までの道のりをかけていった。
ちゃん、中在家先輩のこと覚えてなかったっすね」
 詰襟から白いシャツとサロンエプロンに着替えたきり丸が、カウンターの越しに声をかけてくる。
「いいんすか、言わなくて」
「覚えてないのなら別に構わない」
「でも、」
「言ったからといってどうなる」
「そりゃそうですけど。どうもならないなら、別に言ったっていいじゃないすか」
 きり丸は口を尖らせる。
ちゃんの兄貴のダチだってことくらい」
 俺は肩をすくめ、この話題は終わりだと告げる代わりにコーヒーを注文した。きり丸はやはり納得がいかない様子でこちらをにらみつけている。理由が必要だと訴えかけているつもりなのだろう。やれやれ、と文庫本を閉じながら、そういえば、と、むかし同じような瞳で見つめられたことがあるのを思い出す。
 喪服に身を包んだ大人たち。
 葉を落とした木々。
 ナンテンの赤。
 焼香の香り。
 情景は容易に、かつ鮮明に描きだせた。
 しかし、遠慮がちに姿を現したセーラー服の少女とそれをあっさり追い返した兄の苦悩は、きっと彼らにしかわからない。