「わたし、やっぱり三郎のこと嫌いだわ」
 テーブルの上に生ビールと、お通しと、いくつかの料理の皿が並び、それらが片付くより前からずっと三郎を睨みつけていたが、ジントニックをなめながらそう言った。対する三郎は、「へえ?」と、ささみのてんぷらに箸をのばしながらにやにや笑っている。
「でも、嘘はついてないだろ?老若男女、誰がみたって口をそろえていい男だって言うぜ」
 得意げな顔をしている三郎に向かって、は眉をひそめる。「それは認める。でもね」
「普通、彼女もちの男を”いい男”って言って紹介する奴なんていない」
 特に、別れたばっかりの女の子にね。そう付け加えると、さらに三郎は口の端をつりあげた。そして、
「だってよ、雷蔵。おまえいい男じゃないらしいぞ」
おもむろに親友の顔を覗き込んで言った。苦笑いを浮かべながら会話の行方を見守っていた雷蔵は、さらに眉根の下がる笑い方をするしかない。








 三郎が元凶のトラブルにはこれまで数え切れないほど巻き込まれてきた。たとえば、かわいい上に性格もいいと評判の女の子が話しかけてきて、少なからず心を躍らせていると、「鉢屋くんのメアド教えてくれない?」とにこやかに携帯を差し出されたり。朝登校すると、校門の横で追い詰められた表情をしている他校の女の子につかまり、「三郎にあわせて。電話しても出ないのよ」と授業が始まっても離してくれなかったり。放課後、委員会に行こうとしたら、体育館裏に拉致され、一ダースほどの女の子に「あなたがしっかりしてくれないと困るのよ」と見当違いの説教を3時間にわたってされたり。トラブルと言えば全て女がらみだった。どの少女をとっても、自分ではしり込みして話しかけるのすら躊躇ってしまうような美少女だったのがさらに癪に障ったが、それを抜きにしたって彼はかなりうんざりしていた。アイデンティティか、病なのか、もはや境界線は消えてしまっている。
 しかし三郎自らが「会わせたい女がいるんだけど」と言ってきたのはこれがはじめてのことだっので、雷蔵は10秒くらいメールの文面を凝視してしまった。どうせろくなことを企んじゃいないだろう、と心の中では分かっていたのだが、気づけばメールに書いてあった飲み屋の暖簾をくぐっていた。つまり好奇心が勝った。そして待ち合わせに少し遅れてやってきたのが、このである。
「別に期待してたわけじゃないけど、なんかむかつく。ものすごくむかつく」
 雷蔵には他大に通う彼女がいる。高校2年のときからずっと付き合っている。そんな話をした途端、彼女の眼光は鋭くなったのだった。
「わたし、あんたのこと大嫌い…」
「なんだ、お前。ちょっと期待してたのか」
「死ね」
「ごめんな、雷蔵。こいつふられたばっかで荒れてんだ」
「ふられたことはわからないけど。とりあえず今の状況は同情しとくよ」
 自棄酒でもする気になったのか、強いアルコールばかり注文し始めた彼女を視界の端におさめながら、雷蔵は心の隅で違和感を感じていた。その違和感の正体に気づいたのは、しめの梅茶漬けをすすっている最中だった。
(そうか。この子、今まで三郎が泣かせてきた女の子たちと全くタイプが違うんだ)








 会計を済ませて外に出ると、生暖かい空気が迎えた。もうすぐ夏が来る。雷蔵はどちらかというと太陽の下で走り回るよりも静かな室内で頁をめくるのが好きだったが、それでも休みがくるのは嬉しかった。
「大丈夫か?お前でも飲みすぎるってことあるんだな」
 食事もろくにとらずアルコールばかり胃に流し込んでいたのが祟ったのか、の足元はかなり覚束なかった。
「平気」
「飲み放題にしなきゃよかったかね」
さんって、前に飲み比べで三郎に勝ったって子?」
「そうそう。やっぱ荒れてんな、おまえ』
 居酒屋での時間は、素直に楽しかった。口を開くのはほとんど三郎と雷蔵だけで、内容もふたりでいるときとほぼ変わらなかったが、時折三郎に悪態を吐く形でが会話に参加するのだった。しばらくの間やりとりを交わし、会話に加わるのかと思えばすぐにまた黙々とアルコールを摂取する作業に戻る。その繰り返しだったが、つっこみ役がいるというのはとても新鮮で、不思議な感じがした。なにより三郎が自分以外の人と楽しそうに笑いあっているのが雷蔵には不思議でならなかった。雷蔵以外との友情を保つ(というよりも築く)ことにはほとんど無頓着、女は下半身の友達。そんな三郎が、である。
 そういえば、なぜ三郎は彼女を自分に紹介したいなどと思ったのだろうか。
 まじまじと彼女の顔を眺めていると、「荒れてなんかない」ぎろりと睨みつけられ、雷蔵は肩をすくめた。
「顔、蒼白だけど?」








 案の定、駅まで向かう道中で、突然は歩けなくなった。電柱にもたれたまま、電池が切れたように動かなくなったのである。いま警察に見つかったら何も言い逃れできないぞ、と考えながら、三郎とふたりがかりで彼女をすぐそばの公園までひきずっていった。ベンチに座らせると、彼女は頭を抱えた。人生に苦悩して頭を抱えているように見えなくもない。
「あたまいたい」
「水買ってくるよ」
こうこうと光を放つ自販機を指差しながら言うと、
「さっきコンビニあったろ。どうせならそっち行ってアイスも買ってきてくんない?」
三郎は彼女の隣りに腰掛けながらさらりとのたまう。
「なんでアイスになるんだよ」
「さっきの店で食い損ねた黒蜜きなこ抹茶アイスが頭から離れん」
「あとでお金はもらうからね」
 連れの具合が悪いというのに、なんていうマイペースさ、あるいは図々しさだろう、とちょっとむっとしたが、しかし素直に雷蔵は50メートルほどの道を歩き、クリスタルガイザーとアイス、それに自分用にもシャーベットを買い、元来た道を戻った。そして公園に足を踏み入れた瞬間、が泣いているのに気がついて足を止めた。顔を両手で覆い、しゃくりあげているのが見える。一瞬戸惑ったが、雷蔵に気づいた三郎が手招きしたのでおそるおそる近づいていった。距離が近くなるにつれ、しゃくりあげる合間に彼女が言葉を発しているのがきこえてくる。嗚咽にまぎれ、まったく意味をなしていなかったが、ひとつだけ、にいさん、という単語を拾うことはできた。でもそれだけだった。
「やっぱだめだわ。バーストしちまった」
 そんな彼女の横で、肩を抱くでもなく背中をさするでもなく、悠然とあくびをする三郎は、やはり三郎だった。目の前で女の子が泣こうがわめこうが乱されたりしない。
「複雑なんだ?」
「どうかねぇ」
「三郎も加わってるの?」
「まったくの無関係だよ。幸いなことにね」
 あっけらかんと笑いながら、彼は携帯を取り出した。目に痛い蛍光の緑は今CMが流れている最新式の機種だ。三郎は携帯を換えるのが好きなのだ。
「タクシー呼ぶ。おれんちに護送だ。雷蔵も来いよ」
「芦屋さんのうちまで送ってってあげたら?」
「どこに住んでるか知らん」
 そうかい、と思いながらアイスを手渡すと、三郎は少し口を曲げた。
「抹茶アイスじゃねーの?」
「あっごめん、ふつうに忘れてた」
「いや、いいよ。サンキュ。アイス・キューブがなかったからヴァニラ・アイスを買った、さ」
「…なんだって?」
「まてよ、逆だったかも」