ディスプレイに落としていた視線を、なんとなくあげたら少女がいた。声をかける前に目が合ったことで驚いているらしい。邪魔すんなよ、と思ったが、彼女はこの機体のパイロットなのだった。
「順調ですか?」
 立場的には整備士である俺よりもパイロットである彼女の方が上に当たるのだが、彼女は俺に対して常に敬語だった。年がふたつ違うからか、それとも自分の機体に触れる者に対しては敬意を払うという彼女なりのポリシーがあるのか。なんにせよ、どうでもいいことに変わりはない。
「順調じゃなかったら呼ぶ」
「ですよねぇ」



 ちょっと理想論になってしまうのだが、俺は整備士とパイロットの関係に会話は少なければ少ないほどいいと思っている。パイロットが困っていることがあれば、整備士は機体の状態や戦闘データからそれを察するべきだし、逆に整備士のやることに、パイロットは絶対の信頼をおいておくべきだ。コミュニケーション、インフォームドコンセント、くそくらえ。古臭い考えだと罵られようが、お互いが有能であればそれくらいできてしかるべきだ、と俺は常々考えている。

 そういう意味で、彼女は比較的理想的なパイロットといえなくもなかった。必要以上の口出しはしてこないし、他のパイロットだったら絶対に怒るような(たとえばOSを書き換えるとか)(もちろん無断ではやらないが)ことをしても、いちいち目くじらを立てない。及第点だ。なぜ及第点かといえば、感謝されることもほとんどないからだった。竹谷などはいちいち出撃のたびに照準の精度が前よりすごくよくなってただの、ビーム砲発射でかかる衝撃が減っただの、パイロットスーツを着替える暇も惜しんで報告に来る。尻尾があったら間違いなく振ってたろうな、なんて感想を抱くこともしょっちゅうだった。もちろん素直に嬉しいが、内心ではそんなの何度もシュミレーションを重ねた結果なんだから当然だろうという感情もないではない。ぜってーお前仙蔵の次に性格悪い、と小平太をして言わしめた俺は、自他共に認めるひねくれものだ。だからこそ俺は、ゆくゆくは勲章授与間違いなしと賞賛されるほどの働きをするにもかかわらず、計画書にも報告書にも薄い反応しか示さない彼女に一目おいていたといえる。もっとも、機体にあまり愛着がないという解釈もできるが。

 ちなみに、機体カラーリング権という名誉を賜って以来、機体への愛情のそそぎっぷりが尋常ではない我が艦エースパイロット久々知のやつは、俺のことをほっといたら勝手に変なプログラムを積むとか新兵器を載せるとかいうことを平気でやるマッドサイエンティストの類だと思っている。改造と改良はちがう、と常に主張しているのだが、どうも周りには理解されないらしい。

「俺はメンテしてるところを見られるのが嫌いだ」
 彼女は少しだけ唇を引き結んだが、さして気にした様子もなくコクピットの端に腰を下ろした。操縦席は俺が陣取っているので、そこしか座る場所がないのだ。一応気遣っているつもりなのか背中をむけてはいるが、居座る気まんまん、といった様子なのだった。内心で俺は毒づいた。
「こんなところで油売ってる暇があったら射撃の腕でも磨けよ。先週の戦闘データ、ありゃどういうつもりだ?」
 背中からでも彼女が不機嫌になったのがわかった。

 俺が言っているのは先週行った偵察の際、予期せぬ奇襲を食らったときの話だ。不意をつけたことで有頂天になっているナチュラルどもにザフト軍の圧倒的軍事力を見せ付けての圧勝、という理想どおりにはいかず、勝ったことは勝ったが、それは傷ひとつない完璧なものではなく、辛くも、が付け加わる、目も当てられないものとなった。スクリーンで戦況を見ていた誰もが幾度となく悪態をついた。冷静沈着が売りの立花艦長もこれにはさすがに機嫌を損ねたらしく、後日、廊下ですれ違いざま、「技術部は予算を湯水のように使いやがる、と文次郎が吼えていたな。はて、その資金はいったいどこに消えているのやら」とわざとらしくこちらにきこえるように独りごちでみせたのだから、たまらない。うるせえ、こっちの仕事は完璧なんだよ!涼しげな背中に一言ぶつけてやらなければ気がすまんと中指を突き立てたところで、なぜか唐突に気づいてしまい、俺は言葉をつまらせたのだった。



 彼女が気安く弱音を吐ける性格でないことに、たぶんどんな鈍感な人間だって初対面で気づいただろう。家族全員が軍人という家庭環境が、そんなやっかいな代物を作り上げてしまったのかもしれない。一見すれば彼女は自分の内面と良好な関係を保っているかのような印象を受ける。しかし、やはり彼女もまた、形を持たぬ獣にどうしたら轡をはめられるのか途方に暮れるひとりのちいさな少女に過ぎないのだった。
「余計なお世話です」
 彼女の声は精一杯強がってはいるが、はっきりとわかるくらいに沈んでいる。時間も場所も違う他の誰かの姿と重なって、俺は本気で背中に悪寒が走るのを感じた。給料分の仕事はやってみせろ、と頭の隅で立花がせせら笑う。うるせえ。俺は一度大きく息をはいた。
「あのな、それで壊れた機体直すのは誰だと思ってんだ?そもそもお前らパイロットってやつは少しくらい負傷した方がかっこいいって思ってるから気に食わねぇ。まったく、自信作をぶっこわされるこっちの身にもなってみやがれ!てゆうか一度くらいの失敗でくよくよしてんじゃねえよ!スランプなんざ誰だってあるんだ!同情なんて絶対しねぇぞ、畜生!それでこのジンをだめにしやがったら、地獄の果てまででも追いかけていってぶん殴るからな!」
 こちらの剣幕に振り返った彼女は目を見開き、呆気にとられた表情をしていた。信じられないといったように俺を凝視して、何度も口を開いたり閉じたりしていた。
 ややあってようやく、すみません、とぽつりと呟いた。
「ありがとうございます」
「…感謝の気持ちがあるなら何も言わずに去ってくれ」
 こんな台詞を、まさかこの自分が口に出して言う日がこようとは思わなかった。屈辱だ。これではまるでどっかのあのばかたれ男みたいじゃないか…
 後悔の念に苛まれながら何とはなしに眺めていた彼女の髪があまりにきれいなものだから、思わず手を伸ばしてかきまわしてしまった。すると彼女は驚いて飛びすさった。さっきの倍以上驚いている。その仕草がいつか映画でみたネコそっくりで、なんだかおもしろくなってさらに身を乗り出してわしゃわしゃとかき混ぜると、「子供じゃないんですから!」顔を真っ赤にし、憤懣やるかたないといった様子でコクピットを蹴って一直線に飛んでいき、あっという間に視界から消えた。

 無重力って便利だねぇ。
 ぽつりと呟いた言葉に、それ、軽くセクハラですよ、と予期せぬ応答があり、ぎょっとして声の方向に視線を向ければ、いつからいたのやら、竹谷と久々知の顔がふたつ、四角く切り取られた空間の端から覗いていた。



マイスイートクレイジー・かすみんに捧げます。プレゼント、というのもおこがましいのでこっそりと。ハッピーバースデー!