こっちはだんだん寒くなってきました。兄さんは元気ですか。そっちは緯度が高いから、きっと寒さはここよりも厳しいのでしょうね。
 突然ですが、今わたしがどこで手紙を書いているかわかりますか。きっと驚くだろうと思うのですが、でも兄さんがここを覚えているかわたしは自信がありません。
 4年前の冬に美術館に行った時のことを覚えていますか。エッシャー展です。その帰りに、すぐ傍にある小さくて誰もいない喫茶店に入りましたね。実はそこのカウンターで手紙を書いています。先月からそこでアルバイトを始めたのです。そのいきさつを少し話そうと思います。

 先月の今日、単位と眠気を天秤にかけて面倒くさいなぁなんて思いながら大学に行くと、思いもよらずその授業は休講でした。当日の朝突然休講になったので、わたしに落ち度はありません。けれども一コマしか授業のない日だったのでまったく一日暇になってしまいました。その日は伯父さんのところでもバイトの予定もありませんでした。
 それでふと思い立って、あの美術館のある駅までのんびりと電車に乗りました。でも美術館に行こうと思ったわけではありません。実際入りませんでした。兄さんと最後に一緒に行った春以来、私は美術に触れていません。その日は日本画の展示をしていて、とても興味がわいたのですが、入ろうとは思いませんでした。きっと気分の問題です。
 それでぶらぶらとあのあたりを散歩しました。何も予定がないので、気の向くまま歩き続けようと思いました。もしかしたらいいものに出会えるかもしれない。でも何分、あるいは何時間か当てもなく歩き回ってたどり着いたのは見覚えのあるこの喫茶店でした。ということは、遠くへ行こうと思っていたのに元のところに戻ってきてしまったということです。思い上がりを戒めるためにわたしは中に入りました。

 店はあの時と同じように誰もいませんでした。マスターはわたしを覚えていました。四年も経っているというのに。兄さんのことも覚えていました。ピアノの腕を磨くためにフランスにいると話したらとても驚いていましたよ。でもどこか納得しているみたいでした。なにせ芸術の香りのわかる人ですからね(覚えていますか?)。
 あの時わたしたちはコーヒーと紅茶を流し込むとさっさと席を立ってしまいましたが、実はここはサンドイッチが自慢のお店だったのです。残念なことをしたと思います。というのも、ここのサンドイッチはとてもおいしいからです。その日はクリームチーズとスモークサーモンのサンドイッチを食べたのですが、わたしはそれではじめてチーズとサーモンの相性が呆れるくらいいいことを知りました。しかも、そのサンドイッチとコーヒーがまた驚くほど良くあうのです。
 食事が終わったと、わたしはカウンターに座ってマスターと少しお話をしました。ほとんどが兄さんのことでした。わたしとマスターの間に共通の話題といったら兄さんしかないので仕方ないことなのかもしれません。すると、気づいたら、わたしはそこでアルバイトをすることになっていました。なんで兄さんの話からそんな俗的な話に移動できたのか、まったく思い出せません。想像もつきません。でもとりあえず、そんなふうになっていたのです。兄さんも知っての通り、わたしは流されやすいタイプです。

 仕事に入ってみてわかったのは、この店は実は普段はものすごく混み合うということで、わたしが仕事に入る日はいつもこれから仕事へ向かう人や、昼休みのサラリーマン、すずめみたいな中年女性たち、カップル、そして美術館帰りの人でいつも賑わっているのです。私が客として入る日はいつもがらがらなのに。不思議ですね。伯父さんの仕事と一緒で楽なのを想像していたわたしは幾分呆気に取られましたが、流されたら最後まで流されなければいけないと思って続けることにしました。流されるものには流されるものなりの矜持があるのです。最近ようやく仕事が板についてきたかなと思っています。

 わたしは今、仕事を終えて、カウンターでマスターの作ってくれたまかないのサンドイッチと野菜スープを食べながらこの手紙を書いています。閉店間際とあって店内はほとんど人影がなく、マスター以外にいるのはパソコンに向かっている小説家の卵らしい男性と、なにがあったのやら手帳を開いてぼんやり物思いに耽る女性と、同じアルバイトの小松田さんだけです。
 小松田さんはとても変わった人です。どの辺が変わっているかといえば、とにかくまったく仕事ができないのです。一日に一回は必ず物を落とすし、お客さんによく飲み物をひっかけます。オーダーミスなんて当たり前で、今日はフルーツサンドとホットコーヒーをハムチーズサンドとクランベリージュースに、ベーコンエッグサンドとアイスティーをシフォンケーキとクリームチーズサンドに変えていました。ここまでくるともはや才能です。最後のなんて液体ですらありませんよね。でも、なぜかここに来る人たちはみんな小松田さんのミスを怒りません。ひとえに彼の憎めないキャラクターのせいだとは思うのですが、わたしにはまるで小松田さんのミスを許せる人しかこの店のドアを開かないという必然性のようなものが働いているのではと思われてなりません。一度きりしか来ない客もいるというのに。おかしな話です。
 誰も、といいましたが、正確に言うと一人だけ怒る人がいます。マスターです。あのやさしいマスターが目を三角にして怒る様子はちょっとしたみものです。彼らの戦いはある意味この店の名物になっています。常連さんの中にはそれを楽しみに来る人もいるようです。もうずいぶん長いよ、とそのうちの一人が言っていました。
 なんでも、小松田さんは由緒正しい扇子屋の次男坊で本業はそちらなのだけど、空いている時間はこの店にバイトをしに来ているようです。マスターとこの店が好きだから、と言っていました。扇子に専念してくれた方がこの店のためにはなるんですがね、とマスターは割れたお皿を片付けながらぷりぷりと怒っていました。でもクビにしないのですから、まあ、そういうことなのでしょうね。ちなみに、マスターは吉野さんといいます。
 仕事に入ってからマスターとはいろいろな話をしました。この人といると何でも話したくなるような、許されているような気分になるのです。ただの聞き上手の枠を超えた何かを感じます。兄さんはもしかしたら嫌がるかもしれませんが、兄さんの話もよくします。マスターは兄さんにとても会いたがっています。いつか日本に帰ってきたら会ってあげて下さい。もしよかったらわたしも一緒だとうれしい。

 最後になりましたが、この前はお返事をありがとう。相変わらずと言うか、やっぱり、三十秒くらい便箋とにらめっこをしてすぐに引き出しの中にしまいました。とりあえず、兄さんがそちらで言葉に不自由することなく暮らせているということが毎回確認できるのでわたしは安心です。(嫌味です)
 そろそろ店が閉まるのでペンをおきます。それでは。













 食器を戸棚にしまい終えた小松田さんが、終わったよ、と笑いかけてくる。わたしはそれに答えながら封筒の中にきっちり折り畳んだ便箋をしまい、のり付けをした。
「気をつけて帰りなさいね」
 レトロなくもりガラスのドアに鍵をかけ、マスターが言った。小松田さんが元気よくそれに答えて、わたしたちは駅までの道を並んで歩いた。今日も大変な一日だったね、と小松田さんは言い、それは小松田さんだけですよ、とわたしは答える。
 途中でポストに手紙を投函した。
「誰に書いたの?」「兄に」「なんでお兄ちゃんに手紙を書くのさ」「とっても遠くにいるから」「そうなんだ」「そうなんです」「さみしいね」「さみしいです」「ちゃんと会いたいって書いた?」「え?」「手紙は会いたいって伝えるために書くものだよ」













 こんなふうに、小松田さんは時々どきりとすることを言うから油断できません。でも、だとしたらきっと、手紙自体が会いたいという気持ちの意思表示になってくれているはずですよね。会いたい人がいるのは幸せなことです。会いたい人がいないより、会いたくても会えない人がいる方がずっといい。
 兄さん。わたしは今、一筋の翳りもなく幸せです。