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マリー・シャルロット・ジャンヌ・ローズ・ド・ルフェビュール。 「マリ…なんだって?」 「そんな長い名前、覚えられないね」 「まあ、だからこそうまくローズマリーなんて名前にしてもばれなかったってわけだね」 「ふざけたネーミングセンスだな」 「本人はきっと気に入ってるんじゃない?」 「で、そのマリーさんてのは何者なんだ?」 「あんたたち…新聞とは言わないから、せめてニュースくらいみなさいよ。今をときめくニーベルン神皇国の外務大臣夫人よ」 「ニーベルン…ああ、わかった。最近よくニュースでみるよね」 「うわあ…また随分ホットなところがでたねぇ」 「皇家の歴史だけは世界で5本の指に入る国だ。それでもここ数百年は歴史というよりもむしろ弱小国ということで話題に上ることが多かったな。というより、周囲の列強に飲まれずに独立国として生き残っていたのが不思議なくらいだ」 「血筋だけでなんとか体面を保って生き永らえていたのね」 「いまいち覇気がなかったというか…」 「王も側近も無能だったってだけじゃん」 「まぁありていに言えばそうだけどさぁ」 「それがここ十年くらいで急激に国家的地位を上げて注目を浴びている。革命もなく、国家体制も変えることなく、戦争もなく、だ」 「主たる理由は卓越した外交だね。ルフェビュール外務大臣就任と、それまで犬猿の仲だった隣国との条約締結時期が一致してる」 「それを皮切りに不安定だった情勢が安定していくわけね」 「一人の英雄の登場で歴史の流れががらりと変わるというのは、まあそう珍しくはない」 「そもそもそういう一人の英雄によって歴史は作られているともいえる」 「でも英雄の周りにはすべからく優秀な人材が揃っているものよ」 「揃てるというより、惹きつけるの方がきと正しいね」 「でもそれが、強引な手段で”ひきつけ”たのだったとしたら?」 「優秀かはともかく、ね」 「…そもそもそこで疑問を持つべきだったのかもしれないな」 クロロはゆっくりとソファから立ち上がると、部屋中思い思いの場所に腰を下ろしている仲間たちが全員視界に入る位置に移動した。悪戯っぽい、と言うにはいささか悪意の混じった笑みを浮かべて、全員を見渡す。 「というわけで、こそ泥ねずみの尻尾を掴んだかと思いきや、なんとその尻尾は獅子だったってわけだが…」 「何が言いたいのさ、団長」 「まさか怖気づいたんじゃねぇだろうな」 「なに、お前らの意見を聞こうと思ったまでさ」 「愚問ね。団長、私たちをなめてるか」 「俺たちの考えなら、もう最初っから決まってんだよ」 「まったく…これだから血の気の多い男共は」 「なんだよマチ。お前だってほんとはうずうずしてんじゃねぇのか?」 「あたしは団長についていくだけよ」 「まぁまぁ、いいじゃん別に。ちょうど退屈してたところなんだし」 「決まりだな」 「最初から決まてたようなものね」 「お前はどうする」 それまで蚊帳の外でぼんやりと話し合いの行く末を見守っていただったが、突然矛先が自分の方に向くと、一瞬なんのことを話しているのかわからず、しばらく瞬きを繰り返す破目になるのだった。 「え?」 「どうも、ローズマリーを殺せばお前も死ぬそうじゃないか」 「ほとくといいね。というか、今私が息の根を止めてやてもいいか」 舌なめずりをしながら言ったのはあのフェイタンとかいう男だ。どうも彼は、なんとしてでもに対して溜飲を下げなければ気がすまない様子である。 「いや…それじゃつまらないじゃないだろう。どうせならもっと痛快にやりたいとは思わないか」 「どういうこと?」 「ローズマリーはどうも飼い犬に噛まれる可能性を危惧していないらしいじゃないか」 「…こいつにローズマリーを殺させると?」 団長と呼ばれば男は、にこやかに頷く。途端にあがった反対の声は主にフェイタンとパクノダのものだ。しかしそれとは対照的に、他の者たちは見るからにどうでもいいといった様子だったので、はものすごく頭をひねった。体中がんじがらめに縛られていなかったら、間違いなく腕まで組んでいただろう。この、一見して強そうだとわかる集団の、協調性のなさとは。 「というわけなんだが、どうする?別に俺たちはお前が殺そうが殺すまいが、ローズマリーを殺す。どちらを選ぶかは、お前の自由だ」 「ありがたいけど…でもそんなおいしい話をただでくれるとは、思えないのだけれど」 「察しがいいな」 「知っての通り、辛酸をなめて以来契約には敏感なの」 「なるほどな」 「条件は何?」 うん、と団長はまたもやにこやかに笑う。この男はにこやかに笑うか、それか腹黒い笑みを浮かべるか、そのどちらかしかしない。つまりそれ故に心理が読み取れなくて厄介だ。 「俺たちのことは知っているか?」 「…さぁ」 「名前くらいは聞いたことあるんじゃないか?幻影旅団という」 「ああ…極悪非道の盗賊集団ね。できれば関わりあいたくなかった」 「最高のほめ言葉だな。それで今、幻影旅団はちょうどメンバーが一人、欠番なんだ」 以外の全員が、ぎょっとして団長の方を見た。 「まさか団長…」 「ああ。条件として、この旅団に入ってもらう」 今度はがぎょっとする番だった。しかし彼女が反論しようと口を開く前に、別の方向から抗議の声が矢継ぎ早に飛んできて、彼女は喋りだすタイミングを失ってしまった。 どうしたものかと目の前のやりとりを半ば呆気に取られながら見ていると、少女・少年と形容されるべき3人の男女がさっさと部屋から逃げていくのが視界の隅でちらついた。呆れきった顔と、その惑いのない決断から、このような諍いは日常茶飯事なのだろうことがうかがえた。 部屋から出て行く直前、最後尾についていた金髪の少年がロゼの方を向いて、にこやかに手を振ったのでロゼは眉をひそめた。何が言いたいのか…問いかける前に彼は扉の向こうに消えてしまう。 「で、どうするんだ?」 団長から声がかかって、彼女は視線を喧騒の渦中へと戻した。 団長、小男、どうやらの記憶を盗み見たらしい女、そしてチンピラ然とした男。全員が全員、それぞれの思惑と感情を込めて、ロゼを見ていた。 全員がの方を見ていた。 「そうね…あなたたち全員を殺して、今までどおりの生活に戻るっていう選択肢もあるわよね」 それまでなんのオーラも漂っていなかった室内がすぐさま鋭利な殺気を孕みだし、は肌がぴりぴりとうずくのを感じた。一方で、団長は朗らかなものである。にっこり笑うと、「それはないな」と即座に否定する。 「なんなら試してみてもいいのよ」 「わかるよ。おまえ、損なことはしない女だろう」 「わたしのこと侮ってるの?」 「ちがうね。可能か不可能化じゃない。おまえはこの機会を逃さないだろうと言ったのさ」 団長の手が伸びてきて、の襟首をつかむ。逃げようのない視線にとらえられ、一瞬だけ息が止まる。 「あいつは、父親の仇なんだろう?」 「ー」 は目を開く。そこは鉄道のボックス席だった。 隣にはきちんと両足を揃えて座るシズクが、そして斜め向かい側には足を組んでゆったりと座るシャルナークが、揃っての方を見ていた。少しだけ戸惑って、すぐに居眠りをしていたことに行き着く。 「もうすぐ夕飯だよ」 食堂車両に行こうよ、と促す。そのやわらかな物腰からは、殺人集団の一員であるという気配はまったくわからない。 あんまりお腹すいていないの、と言おうとする前にすっくとシズクが立ち上がり、わき目も振らずにボックス席から出て行った。 「マイペースだろ、あいつ」 シャルナークがちょっとの苦笑交じりに話しかけてくる。 「たぶん、あなたも負けてないと思う」 「相変わらずなおしてくれないんだね。あなたじゃなくて、シャルナーク。シャルでいいよ。団員はみんなそう呼ぶんだ」 「…わたし、団員じゃないし」 「あ、そっか。まだだったね。でも長いだろ、シャルナークって」 肯定も否定もできずに、はボックス席を後にした。 えんじ色の絨毯のひかれた狭い通路を器用に歩くシャルナークの声は途切れない。 列車の食堂って使うのはじめてなんだよね。飛行船の機内食はよく食べるんだけど。でもこの前××航空のはひどかったなぁ。ベジタリアンっていうの、あれ。まったく肉も魚も入ってなくてさ、ただただ甘いか辛いかのどっちかなの。まいったね、ほんと。今日のはどんな感じなんだろ。はよく使うの? は少し考えて、くるりとシャルナークの方を振り向いた。他愛もない会話にまさかこうも真摯に向き合われるとは思ってもいなかったのだろう、彼は多少面食らったようだった。しかしの方はとっくにさっきの質問の内容など忘れていた。 「あの人…」 「え?」 「クロロのこと。いつもこんな感じなの」 きょとんとする、その無防備な仕草にすら美が混じっているのだから、容貌とは本当に不思議なものだ、とは思う。やがてが何を話しているのか理解したシャルナークは、彼特有の愛想のよさで笑った。 「うん、また団長の気まぐれが始まったなって思った」 「また、ね…あんな親玉で大変ね」 「別にそうでもないよ。結構楽しいし」 「へぇ…」 「ほんとだよ。そこが魅力」 にこやかに笑う、その笑みの中には邪気など一筋も混じりはしない。 「ああ…そうか」 「え?」 浮遊感、だ。 は呟いたが、それは心の中だったので、何が楽しいのか笑ってばかりいるシャルナークにはわからなかった。 to be continued... |