ホテルのロビーに入るなり、柔らかすぎるソファに身を沈めている不機嫌そうな妻と、それとは対照的にひどく楽しそうな様子の友人をみつけたとき、イルミはあきれてものが言えなかった。実のところ、イルミがヒソカの素顔を見たのはこれがはじめてだったのだが、それすらも薄れるほど彼はあきれていた。予想通りといえば予想通りであるのだが、まさかここまでヒソカが子供じみているとは思っていなかった。素直にそう告げれば、意地の悪い笑みが返ってきた。

「おとなしく帰るつもりはないんだろ」
「もちろん」

そんなわけで、ホテルの最上階のレストランで三人してテーブルを囲むこととなった。

「終わったら帰れよ」
「ふたりの邪魔をするつもりはないよ。それに、人妻は守備範囲外だしね」

ヒソカは口元をつりあげる。 が彼にじろりと湿った視線を送ったのを、イルミは見逃さなかった。



二人でも三人でもイルミと の口数の少なさは変わるものではなく、主にヒソカが喋り、それにときたまイルミが返事をする、というように食事は進んだ。とりわけ は普段以上に無口で、始終ぶすっとしたまま、会話が自分に向けられても一言も音を発することなく、ただもくもくとアルコールを摂取していた。口にしているものが最高級のフレンチであることなど、知ったこっちゃないという様子である。ここまで彼女が不機嫌になるのは珍しかったので、あるときはオードブルをつつきながら、あるときはパンをちぎりながら、あるときは鴨を切り分けながら、イルミは不定期に妻の側頭部をじっと眺めた( はイルミの隣に、ヒソカは彼の向かい側に座っていた)。ワインを飲む のペースはいつもより明らかに早く、むきだしの首がすでにほてりはじめている。
「いつ結婚したの?」「1年くらい前かな」「いい加減だなぁ。まあ君らしいといえば君らしいけど。でもその様子じゃ、結婚記念日とか覚えてなさそうだね」「別にいいんじゃない。気にするような奴じゃないよ」「そうだね。コーヒーもブラックで飲みそうだし」「それって何か関係あるの?」「さぁね」
デザートが運ばれてくる頃には、空いたボトルは3本になっていた。もちろん、ほとんど全て が空けたのである。4本目を注文しようとしたところでイルミは彼女を止めた。彼女があと一本ワインに手を出しはじめれば、ヒソカがここに長居する理由をみすみす与えてしまうことになる。 は無言で水の入ったグラスのへりを指でなぞっていた。
「彼女、機嫌悪いね」「十中八九、ヒソカのせいだと思うけど」「そう?でもぼくは別になにもしてないよ」「ヒソカって嘘しかつかないよな」「本当のことだって言うよ」「ふうん」「それにしても、この子ほんとうに不機嫌だね」
もしかして生理かい?とヒソカはわらう。イルミは少し考えてから、
「いや違った」
とあっさり答える。彼は思いっきり に足を踏みつけられたが、テーブルの下の出来事だったので、コーヒーと紅茶を運んできたウェイターはそれに気がつかなかった。

その晩、イルミは彼女が紅茶にたっぷりの砂糖とミルクを入れて飲むのをはじめて見た。








便に間に合わなくなっちゃうからもう帰るよ、とヒソカが席を立ったのは、イルミが足を踏まれてから数分も経たないうちであった。何の便かと問えば、飛行船だとさも当然のように言う。居座るつもりなどそもそも最初からなかったのかと呆れるイルミを尻目に、ヒソカはあっさりとエレベーターの中に消えた。彼は文字盤をじっとみつめ、ヒソカを載せたエレベーターがロビーに到着するのを見届けた。無意味だとわかっていたので、円でヒソカがホテルから出て行くのをしっかりと確認するのだった。
イルミの出したオーラに反応して、 がわずかに顔を動かした。部屋に戻るなりベッドに倒れこんだ彼女は、ありていに言えば泥酔している状態だった。足元は覚束ず、レストランからこの部屋までの距離でさえ彼が手を貸さなければ歩けなかったくらいなのだから、酔いは相当なものだろう。もっとも、彼女の能力は一瞬で体内のアルコールを分解してしまうことも可能なのだが。イルミはうつぶせになっている彼女を黙って眺めていた。
ううん、とうなって、 がごろりと寝返りを打つ。その拍子に普段より赤みをおびた首もとがあらわになり、それを見たイルミはぽりぽりと頬をかいた。







(ペテン師はふりかえらない)