は幾度かまばたきをし、思いがけず遭遇することとなった目の前の光景を理解しようとつとめていた。随分久しぶりに会う義理の弟は、別れた時とすこしも違わない姿で彼女より十数メートル離れた場所に立っていたが、しかし彼はひとりではなくなっていた。
(あらあら。あのこ、わたしに気づくかしら)
そんなことを考えたとたんにネコの瞳が彼女の紫をとらえたものだから、は望む望まないに関わらず対処せざるをえなくなった。もはや息をするのと同じ要領で、滑るように体のオーラを操作して念を発動させると、次の瞬間には彼女の体は義弟の眼前にあった。ぎょっとしたみっつの視線に晒されることとなったが、そんなものはすでに慣れっこであるので、わざわざそれらに応えることはせず、彼女は少しだけ首を傾げ、

「久しぶりね、キルア」

警戒の色をあきらかに強めた銀髪の義弟に声をかけた。しばらく間をおいても彼が一向に緊張を解こうとしないので、頭を撫でてやろうとすると、指先を動かしただけでちいさな身体は強張りを増した。野生の獣であれば、間違いなく毛を逆立てていたであろう。額にじわりと汗が浮かんでいるのをみとめ、はわずかにまゆをひそめた。

「…まるで銀色の狼ね」
「何しにきたんだよ」
「せっかく久しぶりに会ったというのに、冷たいのね。悲しいわ」
「思ってもないことを言うなよ」

は目をぱちくりとさせて、敵意以外の感情を浮かべる様子のまるで見られないキルアを長い間みつめた。しばらくすると彼の口元からはぎりりという歯軋りの音が、そして手のひらからは爪の食い込む音が聞こえてきた。どうしようか考えあぐねていると、存在を無視され続けていた外野のひとりが口を挟んできたので、彼女は顔を少しだけ動かしてそちらを見た。

「お姉さん、だれ」

は感情が豊かとはいえない瞳でそのちいさな少年を眺めた。こちらは警戒しているというよりも、どちらかというと戸惑っているという風に近い。にもかかわらず確固たる強い光が瞳に宿っていて、は得体の知れないどうぶつだ、という感想をおぼえた。一向に口を開かない彼女にしびれを切らしたキルアが「兄貴の嫁だよ」とごく簡潔に吐き捨てると、周囲からは動揺もあらわなめいめいの反応が返ってきた。「うそお」「あいつ彼女いたのかよ」「…信じられん」
しかしは周りの反応よりもキルアの表情の方に気が向いていた。先ほどまでの警戒の中に、わずかに戸惑いの色が浮かんでいたからである。彼女はおや、と思ったが、すぐ別の方向から来た、「あっ!」という声に気をとられてそんなことはすぐに忘れてしまった。

「そうだ、お姉さんどっかで見たことあると思ったら、試験会場ですれ違ったんだ」
「試験会場?」
「っていうよりも、最終試験が終わったあと。会場の入り口の柱に立ってなかった?」
「よく覚えているな、ゴン」
「ひとりでぽつんと立ってたから印象的だったんだよ」

彼女は少し考えるふうであったが、すぐにああ、と頷いた。

「イルミを迎えに行ったときね。あなたたちを見たかどうかは思い出せないけど、確かに会場のそばにいたわ」
「ほらね。じゃあ間違いないよ」
「キルアの兄貴は一緒じゃないのか?」
「イルミとは別行動中。わたしはちょっと家に用事があるから。それが終わったらまた合流するのよ」

キルアも一緒に行く?とわりと本気でたずねると、間髪おかず嫌悪感もあらわに否定された。

「まあわかっていたことか。たった5人の兄弟なのに、あなたたちって本当に仲が悪いわよね」

が肩を竦めると、見計らっていたかのようなタイミングでキルアは非情な一言を浴びせかける。ようやくみえた話の切り口を逃すまいと、間一髪滑り込むかのようであった。彼女はというと、全く予想外のところから言葉がふってきたので、今度こそ本気で目をぱちくりとさせ、まじまじとキルアの顔を凝視してしまったのだった。

「…言っていることの意味がよくわからないのだけど」
「そんなの知るかよ。事実として、俺はゾルディック家を出て行くんだ」

冷たい彼の瞳に真剣さをみて、背筋になにかがざわざわと走るのを感じたは、彼の瞳をみつめかえすしかできなかった。それを穏やかならぬ反応ととったのか、キルアは今日一番の敵意をきかせた目で彼女を睨んだ。

「…邪魔する気かよ」
「邪魔なんてしないわ。でもお義父さまがお許しにならないでしょう」
「その親父が決めたことなんだけどな」
「あのお義父様が…うそ。なにをしたの、キルア」
「なんにもしてねーし」

素直に驚きながら深い紫の瞳で自分をじっとみつめてくるに、キルアはもうこれ以上なにも言うべきことはないというかのように、鼻をふんとならしてみせた。
彼女はぐるりと首をめぐらせて、義弟のあたらしい取り巻きである者たちの顔を順番に視線でなぞっていった。スーツの男、金髪の少年、そして得体の知れない動物であるちいさな少年。どれもこれも、彼女にとっては別世界のもので、扱いにくいものに思える。
は一度だけゆっくりと息をはくと、「わかったわ。それじゃあ、もう会うこともないのね」と、くるりと踵を返してその場を離れた。彼女には今日の夕方までに済ませておかねばならない用事がある。
後ろから彼女の名を叫ぶ声がきこえたような気がしたが、気のせいだと思ったのでは振り向かなかった。







(神さまが守り損ねた場所)