よくあるだろ、推理小説で、鈍器で殴られて殺害されたのに、凶器は見つからない、てやつ。犯人があの手この手を使って隠した凶器を、探偵は知恵をしぼって探すわけだ。場合によっちゃそれが裏目に出ることもあるがな。ま、そこが読者にとっちゃ見どころなんだよな。
 だがな、俺はどうしてもひとつだけ納得いかねえトリックがあるんだよ。氷だとか、つららだとかつかって殴ってぶっ殺すやつ。ほら、おめーも見たことくらいあるだろ。っていうかすぐにわかんだろ。見りゃあよ。普通に売られてる程度の氷で人を簡単に殺せてたまるかよ。気にくわねえ。ああ、気にくわねーよ。クソッ!



 彼女は、信じられない、といった気持ちで目の前の光景を眺めていた。彼女の両親と二人の兄が、氷漬けにされている。もっと正確に言えば彼らは氷の中に閉じ込められ、渾身の力でもがいているのだ。その中に酸素がまったく入っていないからだったが、混乱した彼女の頭ではそこまで考えが及ばない。
 口元にただ手を当てて言葉を失い、かといって逃げ出すこともできずに、壮絶な光景から視線をはずせずにいた。それこそ足が凍り付いてしまったように動かないのだ。
 何よりも信じられないのは、TVでみたナウマン象みたいな氷漬けのオブジェの前で偉そうにべらべらと喋りたてている男と、隣でぼんやりと突っ立っている女の姿であった。この事態をひきおこした張本人であることはすぐに知れた。しかし彼らの態度は目の前で起きている大惨事に対して軽薄すぎる。
 ふいに、それまで腕組んで男の長口舌を興味なさそうにきいていた(あるいはきいていなかったのかもしれない)女の顔がくるりと彼女の方を向いた。「あら」
 女は首をかしげ、穴が空くほど彼女の目を見つめた。まだ残ってやがったか。リストには載ってなかったはずよ。リストに載ってるかどうかじゃねえ、殺すか殺さないかだ。そうね、あなた、シンプルでいいわ。

 女がつかつかと歩み寄ってきて、ほんの少しだけ開いていたリビングと廊下を隔てる扉をがばりと開いた。彼女はその、女の何の表情も浮かべていない顔を見て、ようやくへなへなとその場に崩れ落ちた。そうしてはじめて自分が小刻みに震えていることに気づく。
 女は無感動にコートの内ポケットからきらめく何かを取り出すと、それを、ごり、と彼女の額に突きつけた。

「はじめてみるな」「ちょうど昨日届いたの」「リゾットのごひいきか。結構なこって」「前のがメローネの息子にばらばらにされたのよ」「何にされたんだ」「ちょっと口にはできないようなものよ。あれは本当に見事だった。ギアッチョにも見せてあげたかったわ」「へえ」「かつてない程の殺意を味わえるわよ」「何やってんだ、あいつ」「今日は使えないかと思ってたんだけど、ちょうどよかった。使ってみたかったのよ」「威力のある奴だろ。ガキひとりやるにはもったいねえな」「そうね、じゃあ象でもつれてきてくれる?」「やなこった」「車も破壊できるのよ」「ばか。ありゃ誇張だ」「え、そうなの」「あたりめーだ。拳銃程度で鋼鉄が打ち抜けるかよ。普通に考えてありえねーだろ。クソ、いらつくぜ」「ダーティハリー、好きだったのに」

 男と女は目も合わさずに淡々と会話を進めている。視界の隅で、ついに動かなくなった家族の姿が見えた。彼らを覆っていた氷もすでに失われている。
「すぐに会えるわよ」
 目の前の女が抑揚のない声で告げた。台本でも読むような口調なのだ。本心では全くそんなこと思っていないのが明らかだった。
「…ひどいわ」
 彼女は声を絞り出した。呪詛の呻き声。
 そこで彼女ははじめて表情と呼べるようなものを顔に浮かべた。不思議そうにぱちぱちと瞬きをし、驚いたように眉毛をもちあげたのだ。彼女が最初で最後に見る、女の感情と呼べる代物であった。
 ひどい?、とつぶやいて、女は首を傾げた。



「こんな世界で生きなきゃならないってことの方が、よっぽどひどいわ」