「アレルヤと来ればいいのに」
率直にそう言うと、彼女はじろりとこちらを睨んだ。
確か年齢はアレルヤと同じか、1歳くらい年下だったはずだ。まだ思春期を終えていないのだろう。長い思春期だな、と思う。もっとも、彼女の幼少期のことを考えれば、心の成長が滞ってしまうのも仕方ないことなのかもしれない。俺だってそう幸せな子供時代を送ってきた方ではないが、しかし彼女らに比べればずいぶんまっとうに枝を伸ばせている。そんな俺は、他人に対してとても寛大だ。もちろん、女限定で。
はイチゴチョコクレープの最後の一口を頬張ると、おいしかったと言ってにっこり笑った。にくたらしい程の笑みだ。
「次はあのお店に行こう」
「まだ食うのかぁ?太っても知らねぇぞ」
「いつもまずい宇宙食で我慢させられてるんだから、こういうときに思いっきり味わっておかないと」
そうして俺は公園のベンチに座って、クッキーがいっぱいに詰まった袋を抱えるはめになる。横からが手を伸ばしてクッキーをつまみ、
「今日のロックオンは疲れているのね」
などと不思議そうに顔を傾ける。その仕草がかわいかったものだから、ついそんなことないと言ってしまった俺を誰が責められるだろう。
「疲れているときには甘いものがいいのよ。やさしいさまはかわいそうなロックオンに一枚あげるわ」
「たった一枚ですか」
「当然よ。わたしはガンダムマイスターのあなたとちがって薄給なんだから。一枚もらえるだけでもありがたいと思いなさいよ」
「はいはい」
俺は寒さにまけてコートの襟元をかきあわせた。吐く息はことごとく白い。ひどい寒さにもかかわらず、休日昼間の公園は様々な人で溢れている。カップルもいれば、家族連れもいる。一人として同じ人はいない。それなのに、みな一様に幸せそうな顔をしている。噴水の青が舞い、街路樹の緑が風に踊る。人々の笑顔。何もかもが幸せに仕立て上げられたように見える光景の中にいて、俺はうすいクッキーをかじっている。どうにも現実感がなかった。影のような気分で周囲の光景をぼんやりと眺めるより他ない。
「ロックオン、あれみて。」
突然彼女が大きな声を上げたので、俺はすぐに現実に引き戻された。彼女の指差す先に視線を移せば、老夫婦に連れられた白い毛並みの小型犬、マルチーズがちょこちょことせわしなく歩いていた。
俺がそれをマルチーズだとわかったのは、アレルヤが好きだというので前に散々データをみせられたことがあったからだった。
「ロックオン、写真とって」
「え?」
彼女は有無を言わさず俺に端末を押し付けると、マルチーズの方へ軽やかに駆けていってしまった。置いてけぼりの俺は、気づけば老夫婦に話をつけた彼女に大声で呼ばれ、彼女とマルチーズのほほえましいツーショットをとらされていた。その間、およそ2分弱。彼女の決断の速さと行動のすばやさには毎度のことながら感心させられる。もといたベンチにもどってきた彼女は嬉しそうに端末の中の自分と犬のデータを眺めていた。
「ふふ。よく撮れてる」
「アレルヤにみせるのか?なんだかんだ言って、結局あいつのこと考えてるんじゃねぇか」
「ばかね。自慢するのよ。『あんたは見れなかったけど、あたしはあんたの好きなマルチーズをみてきたわよ!』って。残念そうな顔が目に浮かぶわ」
やれやれ、と俺はあきれた顔をしてみせたが、彼女は手放しに嬉しそうだった。あのアレルヤが微笑みこそすれ、残念な顔をするとは全く思えなかった。でもあえて指摘することはやめておいた。俺は彼女の悔しそうな顔の方が見たかった。
いたずらの確認は終わったのか、端末を閉じると彼女は一転、ため息をついた。そして髪を何度もかきあげる。何か考えているようだった。



彼女は何かを言おうとするときには必ず一拍おく癖があった。
「考えがすぐにはまとまらないの。脳がいかれているから。」
彼女はそう自虐的に茶化していた。しかし俺は、一拍の間に彼女ができるだけ人を傷つけないような言葉を選んでいるのだと知っている。おそらく、アレルヤも。もっとも、その試みはしょっちゅう失敗していたのだが。
彼女は不器用な子供だ。そして、心の底に癒えぬ痛みを抱えている。



彼女はようやく口を開く。
「わたしはロックオンが思ってるほどアレルヤと近くないよ」
ぼそりと言うが、彼女の声は毅然としている。
「そうなのか?」
「そうよ」
「とてもそうにはみえないけどな」
「やめて」
とても鋭い声。彼女は殺意すら感じられる目つきで俺を睨んだ。
「まるで傷の舐めあいみたいじゃない」
鳥肌が立つ。低い、苦悩に満ちた声だった。
…傷の舐めあい。
「それの何が悪いんだ?」
彼女の瞳は暗闇を見ているようだった。彼女は何も答えない。ひらひらと、あさはかな沈黙がふった。
それはもうすでに彼に依存していることと同義ではないのかと思ったが、口にはしなかった。多分彼女自身、すでにそれに気づいていて、行き場のない思いに途方にくれているのだろうから。






「行きましょ」
そう言ったときのの声はもうすでに平常心を取り戻していて、俺は思わず安心を覚えた。立ち上がって、いつのまにか空になっていたクッキーの袋をゴミ箱に捨てる。
「はやく帰って、アレルヤを残念がらせてやらないとな」
俺がそう言うと、彼女は目をぱちぱちとさせて、さも当然といったように、
「まだ帰らないわよ」
などと言う。
「何言っているの。まだまだ行っていないお店、たくさんあるんだからね。マカロンでしょ、キッシュでしょ、ベニエでしょ…」
もう俺は、何をかいわんや、という気持ちである。
こちらのことなどおかまいなしにさっさと雑踏の中に消えんとする彼女を追いかけながら、俺の後悔はさっそく始まっていた。
5℃。ブルーグレイの寒空の下で。







(天邪鬼の憂鬱)