「その指、」
 余裕ぶってはいるが、しかし隙を見せない仕草で、突然物陰から現れた黒スーツの男が、す、と右手の人差し指を持ち上げたので、つられる形で自分の指を見た。
「動かねえんだろ」
 一ヶ月程前の仕事で負った怪我がもとで、利き手の指を数本だめにしていた。一時的な後遺症で、一ヶ月ほどで回復するだろうと医者は言っていた。うそつき、と内心罵倒したところで、この状況が最悪であることが変わるはずもない。
「こんなところになんで女がいるんだよ。しかも男装までしやがって」
「趣味なの」
「へぇ…どっちの?」
 今度はわたしとわたしの隣で絶命している白髪の老人との間を交互に指さして、男はおかしそうに喉の奥で笑った。ご想像にお任せするわ、と言えば、あんた面白いな、と声だけは上機嫌に感想を述べる。
「だが…いくら女だからってまだ生きてんのはどうも府に落ちねえな。老化もたいして進んでねえみてえだし。それ、あんたのスタンドか?」
 異変を感じたときにはすでに周囲の人間はみな身体を折りたたむようにその場に倒れこんでいた。様々な色をした頭が地面にひれ伏したかと思うと、急速に白色へと変化していった。生物を老化させるスタンドだと気づいたときにはすでに自分の足腰も立たなくなっており、ふるえる手で机にすがりながらスタンドを発動させるのが精一杯だった。
 男はつかつかと歩み寄ると、睨みつけるこちらなどおかまいなしに、机の上に広げられていた書類を手際よくかき集めて自分の鞄に入れた。ぱちりと留め金をおろす一方で、男はようやくちらとわたしの方を見る。顎に手を当て、なにやら思案顔である。
「あんた、もしかしてか?」
 男が口にした言葉は意外を通り越していた。思考まで衰えてしまっているのか、とっさになんと反応すればよいのかわからず、ただただ男を見上げることしかできない。
「思い出した。頭でっかちのじじいどものボディーガードやってる、だろう」
「だったら、なに」
「だとしたら、殺す必要がなくなった」
「…どういう意味?」
 混乱するわたしの前で、男が唇の端を吊り上げて笑った。
「そのうちわかるさ」
 またな、と男は笑って去っていった。…またな?思えば彼は十分伏線をはって去っていったのだが、当時の自分が気づくはずもない。
 わたしはただひとり、ぐったりと体をもたせながら、男の消えていった空間を眺めた。