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午後最後の授業が終わり筆記用具を片付けていると、携帯が震えた。見れば珍しく臨也からで、今夜外で会おうというメールだった。話したいことがあるから、と続く。待ち合わせの時間きっかりに言われた場所に着いたが、まだ臨也の姿は見当たらなかった。携帯を確認しようとポケットに手を突っ込んだところで、
「折原臨也?」
ふいに背後から声がかかり、反射的にふり返ると見るからに堅気ではない人物が彼女を見下ろしていた。
「おまえが情報屋の折原臨也だな?」
情報屋?何それ??ちがいます、と言おうとした喉はぴくりとも動かない。後ずさると、何かとぶつかって彼女はたたらを踏んだ。何者かが肩を掴む。それが合図だったかのように、視界のあちこちからがたいのいい男たちがこちらへ向かい始めるのが見え、彼女ははじめて頭から血がひいていくのを感じていた。
「折原って…女だったのか?」
「知るか。でも今日ここに来るってのは確かなんだろ?」
「おい、おまえ、本当に折原臨也か?」
彼女は弾かれたようにその場を飛び出した。足が絡まり、歩けているかすらもわからなかったが、意識だけは前へ前へと進んでいく。追いつかれることはもちろんわかっていた。少しでも遠くへ彼らを引き離さなければ。ただただそれだけを考えたのだ。








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その後、彼女は3カ月ほど入院することとなった。××会のやつらに目をつけられてまだ生きているなんて奇跡だよ、と警察は語った。驚いているようだった。鼓膜が破れていたし、彼女には細かいところは聞こえなかったし、聞こえていたとしてもどうせ理解のできない言語だっただろう。
入院をはじめてからどれくらい経った頃か知らない。予感がしていたのかどうかは自分でもわからない。ただ胸騒ぎのようなものはしていた。ある日投薬でもうろうとする意識の沼から浮上すると、枕元に臨也がいた。
うっすらと笑いながらを見下ろしている。彼女の体は不思議とすべてが静まり返っている。
「全部臨也のせいだったの?」
押し殺した笑みがはじめにきこえ、それはやがて高笑いへと変わった。「全部?」











「全部って?はどこからどこまでが全部か、ちゃんとわかってる?」









はさぁ、自分が先にシズちゃんを好きになったと思ってるでしょ?でもねぇ、最初に君のことを好きになったのはシズちゃんの方だったって知ってた?だから俺は君に近づいたんだよ。君があんな単細胞を好きになるかは当時は自信なかったんだけどね。まあ、呆気なかったね」

「そのあとシズちゃんの情報をいろいろ流してあげたよね。ああ、ちょっと本筋からは逸れるけど、入学当初から仲良かったお友達、覚えてる?邪魔だったからすこーしつついて心の病気を患ってもらうことにしたんだ。まぁ今はまっとうに暮らしてみたいだから安心してよね」

「それで・・・どこまで話したっけ。そうそう、それでそのシズちゃんと君が同じクラスになるようってに担任に働きかけてやったし、よく行く遊び場も教えてあげたよね?でもあれよく考えたら普通にストーカーだよね?だからといって別に恥じることなんてないよ。高校生の恋愛なんて突き詰めればみんなストーカーまがいだからね。なによりストーカーも成就すれば純愛になるって、これ、知ってた?」

「あ、あとこれは知ってる?拷問ってさぁ、苦しいだけだと効果は半減なんだって。助かるかもしれないっていう希望が見え隠れすると、その希望にすがるだろ?だからより拷問が辛いものになるんだって」

「だからさ、本当はシズちゃんと付き合わせてからこっぴどく振らせた方がいろいろやりようがあって面白かったんだけどさぁ、でもやっぱ、シズちゃんのおさがりはごめんだからね」

「でも言っとくけど、流した情報は全部本当だよ。思えば、あれが俺の情報屋としての第一歩だったのかもね。ちょっと小細工をしたのは、例のバレンタインの日だけかな。あ、あの手作りチョコケーキ、おいしかったよ。ただ君の下校時間とシズちゃんたちの待ち合わせがうまくかぶるようにするのだけはちょっと骨だったなぁ。実はあと一分遅かったら、やつの先輩が恋人といちゃついてるところいぶち当たってたんだよ。俺って運いいよねぇ。もしあの場でシズちゃんと話してたら、火事場の底力で告白しかねなかったわけだし」

「でもよく考えてみなよ、これ全部が悪いんだよ?俺の言うこと鵜呑みにして、勝手に勘違いして。自分にもう少し勇気があったら、いくらでも変えられたんだよ、わかってるんだろ?わかってるから今、どこに怒りをぶつければいいかわからないんだろ?」

「それで、初めてやった日のことだけどね。まぁあれほど簡単なこともなかったよねぇ。君、全部予想通りの反応をしてくれるんだもん。やっぱ馬鹿じゃんこいつって思ったね。もう面白すぎてさ、笑い堪えるのが辛くて辛くて、うっかり勃なかったらどうしようって、それだけがひやひやでさぁ」

「でもその後、楽しかったでしょ?恋人ごっこ。3年間も続けてあげたんだから。楽しいと思ってた自分が今悔しくて悔しくてたまらないくらい、楽しかったんでしょ?だからさぁ、それでおあいこにしようよ。ま、ここまできたらさすがの君でもわかると思うけど、あの××会の奴らを差し向けたのも俺ね」


「ね、今、どんな気持ち?」

は自分が驚いていないことに驚いていた。ゆっくりと瞼を閉じる。
「恨むならシズちゃんを恨むんだね」
意識がふたたび飛ぼうとしていた。








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ここまでくれば、もはや予感は直感に変わる。
暗がりの中、ぼうっと男が突っ立っている。黒いコートに身を包んだ、長身痩躯の男。まるで幽霊のようだ、と思う。この人でなし。呟くと、彼は面白そうに目を細める。
「ひどいなぁ、せっかく退院祝いに来てあげたのに」
 もう夏だねぇ、だいぶ蒸し暑いよ。はやく中に入ろう。そう言って扉を手の甲でこつこつと叩く。こんなときに緊張感がないことは自覚しているが、家の前で待ち構えて扉をあけるのをせがむさまはどうしたって野良猫を連想させた。
彼女はつかつかと歩み寄り、張り手をかましてやろうと重心をうつし、勢いをつけて手を振り上げる、その前に。二本の腕がのびてきて、動きを封じられる。抱きすくめられる形になったのだと理解するまでに少しの時間を要した。あまつさえ首と肩の間に顔を埋めてくる。彼女はどう反応すべかとっさに判断ができず、眉をしかめた。
「ねえ、。会いたかったって言ったら信じてくれる?」
「信じない」
「だよねぇ。じゃあいいよ。一生離さないから」
この男はひょろひょろとしていて日陰で生活している癖に意外に力があって、彼女の力では振りほどけない。
「ひとつだけね、誤算があったんだ。ご察しの通り、予定ではこのままゴミクズみたいに捨てるつもりだったんだ。でもね、、あいつらにリンチされた時、俺のふりしてたんだって?自分は折原臨也じゃないって言わなかったんだろ?まぁ言っても結果は変わらなかったんだけどね。『折原臨也』の身体的データは詳細に渡してあったし」
「でしょうね。で?それが何?」
ふふふ、とくぐもった笑い声が肩からもれる。
「俺としてはさ、が『臨也―助けて臨也―』ってぼろっぼろに泣きながらみっともなく叫ぶのを待ってたんだよ。でも泣きごとひとつもらさなかったね。あれは興ざめだったよ。でも嬉しかったから許してあげるよ。だってそれって庇ってくれたってことだろ?君みたいな子は初めてだよ」
あんた友達ほんとにいないのね。呆れたように呟くと、だから?としれと返される。友達も恋人もいらないよ。でも一人になるのは少し嫌かな。
、俺のこと一人にするの?」
こいつは今間違いなく、腹の中で、もしかしたら顔面筋肉上でも、どうしようもないゲスな笑いを浮かべている。もちろん、それにが気づいていることにも気付いている。それでもなお体を離さないのは、すべてを知ったその上でが手を振りほどかないことを知っているからだ。
手に力が入る。


「戻って来てくれるよね?」








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気づかないうちに、驚くという感覚が麻痺してしまったらしい。ある日臨也と外で歩いているとばったり静雄と出くわした。
「お前らがなんで一緒に歩いてんだよ」
すごみのある声をかけられ、さてどうしようかと考えている間にひどく愉快そうな臨也に肩を引き寄せられる。
「さて、どうしてでしょう?」
まるで昼ドラみたいな展開ですね、と言おうとしたところで、
「そういうことかよ」
煉獄の炎を背負った静雄がガードレールを掴み、「、話はあとだ。とりあえずそのミノ蟲から離れろ」憎悪の眼差しを向けてくるので、彼女は素直に従った。
一瞬、臨也の目にあっけにとられたような色が混ざるのを見た。何か口を開きかけたが、は耳を両手で覆った。次の瞬間、ガードレールがものすごい勢いで目の前を横切り、某海外ブランドのショーウィンドーを突き破ったかと思うと途端に耳をつんざく警報ベルが鳴り響いた。
土煙りに紛れて臨也の姿は見えなくなったが、彼女の目は反射的に目立つ方の姿を追っていた。裏路地に消えていこうとする金色をみて、彼女も小走りに駆けだした。








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湿布やらガーゼやら氷やら、一般家庭に存在するありとあらゆる救命具を総動員してがたんこぶを冷やしたり捻った足首をテーピングしたり切り傷を消毒したりしている間、臨也は彼にしては珍しく不機嫌そうだった。白々しくどうしたのときけば、彼は鼻で笑った。
「だって、離れろって言われたら離れるでしょう。わたしたち別に恋人同士じゃないんだし」
 視線を逸らし、何やら思案顔だったが、ややあって、そうだね、と頷いた。まあ確かにそうだね。
 それにね、と彼女は続ける。
「それにね、わたし、静雄が臨也のこと殺してくれないかなって思ったの」
「・・・は?」
「悪夢から覚めるみたいにぱっと忘れられるような気がしたの。自分ではできないから」
 少しの間を置いた後、喉の奥でくすりと笑う。
「減らない口だね。負け惜しみのつもり?」
 なんとでも。彼女はしれと返す。
「これから臨也がすること、わかる気がする」
「へぇ?」
「何をどうするかは全く想像もつかないけど、でもたとえば、臨也がいなくなったとしてもわたしの心から臨也がいなくなるようにするとか、方向性はわかる気がする。でもわたしの考えを把握した臨也がこれから具体的にどうするのかは全くわからない」
「素直に俺のこと好きだって認めたら?」
「そうしたら少しは楽になれる?」
「情状酌量の余地はみとめてあげてもいいよ」
彼女は笑った。屈託のない笑みだったと自分でも思う。彼の包帯の巻かれた手をとる。
「臨也が人間を愛するように、わたしも臨也を愛しているわ」


臨也がわたしにどれだけ酷いことができるのか、最後までみてみたいの。