がトーリスと、そしてフェリクスと仲良くなったのは、留学後しばらく経ってからだった。ある日、大学内の食堂で食事をしていると、隣りのテーブルで彼らが言い合っているのが見えた。最初は気にしていなかったのだが、どうも視線がちらちらとの方を向くのに気づいた。かと思えば目が合うなり慌ててあらぬ方向を向いたりする。どうにも居心地が悪く、その日は食事が終わるとすぐに席を離れたのだが、翌日もまた同じ場所で彼らと鉢合わせることになった。
「隣り、いい?」
遠慮がちにきいてきたのがトーリスで、その後ろに隠れるようについてきて椅子をひいたのがフェリクスだった。後で判明したことだが、フェリクスの母国ポーランドでは今空前の日本ブームらしく、同じ大学に日本からの留学生がいると知って、彼は密かに近づいてみたいと思っていたらい。しかしフェリクスはかなりの人見知りなので、ずっと行動に移せずにいた。そこで、せがまれたトーリスが代わりに話しかけてきた、といういきさつなのだった。
 きっかけは何であれ、出会いから毎日のようにつるむようになるまで大した時間はかからず、気づけば互いの存在が空気のようになっていた。フェリクスのロシア語はあまりうまいとは言えなかったが、リトアニアからの留学生であるトーリスの方はかなり堪能で、の表現を逐一なおしてくれた。

 そうして3人の意思疎通がとどこおりなく行えるようになった頃、ある事件がおきた。の寮が火事になったのだ。幸い死人も怪我人もでなかったが、消火活動のせいで寮は目も当てられない様になってしまった。途方に暮れたは、とりあえずトーリスとフェリクスがシェアしていたフラットに転がり込んだのだった。次の住まいを見つけるまで、という約束で。




 このフラットで食事の用意を一手に担っているのはトーリスだった。フェリクスがまったく料理をしないから、というのが表向きの理由だったが、本当はただトーリスがやりたいだけだろう、とはふんでいる。簡単に済ませるなら他にもいろいろ方法はあるだろうに、ジャガイモを潰したり魚をおろしたりする彼の姿はあまりにも自然で、背中にチャックがついていて中にお母さんが入っているんじゃ、と疑ってしまうほどだった。
 今日のメニューはきのことサーモンのクリーム煮に、ゆでたじゃがいも、スープ、パン。大学から帰ってくるなり猛烈な眠気を感じ、うとうとしていたら完全に眠り込んでしまった。そのせいで食欲を忘れていたが、食卓に並べられた料理を見るとすぐさまお腹がぐうと鳴った。
「部屋探しは順調?」
 パンをちぎりながら、トーリスが訊ねる。は力なく首を振った。
「火事のせいでたくさん学生が寮から流れたらしくて。いいところは全部埋まっちゃってる。あとは大学から遠いか、治安が悪いか、予算オーバーかのどれかね」
 そっかぁ、とトーリスは肩を落とす。その横で、スープをすするフェリクスが首を傾げた。
「てゆうか、ずっとここにいればよくない?なんか問題あるん?」
「あるよー」
「なんで?」
「だって自分の部屋ほしいもの」
 海外では男女がフラットをシェアするのはごく普通のことだと知っていたが、日本人であるにとってやはり最初はかなり抵抗を感じるものだった。しかも部屋はふたつしかないので、必然的に寝る場所はリビングのソファとなる。一刻も早く新しい部屋を見つける、と決意をかたくしてソファに横になったのだったが、今では朝目が覚めてすぐ傍でトーリスがコーヒーを飲んでいてもまったく気にしないようになっていた。順応というのはおそろしい。
「それに、ソファ硬いし」
「えー、そんなんいいじゃん」
「よくないよ」
 ためいきをつくと、フェリクスは口を尖らせた。まあまあ、とトーリスが間に入る。
「マリエの好きにしたらいいじゃない。ずっとここにいてもいいし、新しい部屋を探してもいい。生活費ももらっちゃってるしね。俺たちはどっちでも構わないから」
 そーそー、とフェリクスが合いの手を入れる。
「時々俺のベッドで寝かせてやってもいいし!」
 じわり、と目頭が熱くなるのを感じて、は唇をかんだ。
「トーリス…フェリクス…」
 よく思うのは、周囲の人間のあたたかみだった。この二人しかり、菊ちゃんしかり。自分という人間はひどくささいな人間だが、周りの人たちはこんな自分になぜかよくしてくれる。自分という存在は空っぽなのに、周りのおかげでなんとかもっている。そんな気さえする。
 …というのは今はどうでもよくて。
「きみたち、私のこと女だと思ってないでしょう」
   今はじめて気づいた、というように二人は顔を見合わせる。思わずはパンを投げつけていた。